犬笛日記

それは犬笛のような魂の叫び

東大生VS平成手コキ女学院

職場の上司が小学四年生になる娘さんに、世の中は不公平なのだ、ということを教えるかどうか悩んでいる、と言っていたので、そういうのは言わなくても勝手に気づいていくもんじゃないですかねぇ、などと答えておいた。

遅かれ早かれ、嫌でもいつかは分かってしまうようなことは、気づいた時にはすでに手遅れでした、ということにだけはならないように、上手いこと道を指し示してあげておくのが親の役目なんじゃないかなぁと思う。私は親にはなれないけれど。

 

 

人が最も不幸を感じるのは不平等を身をもって感じたときなのだそうだ。幸せも不幸も、比べるものがあってはじめて実感できる。そう考えると、この世は不幸で溢れている。それらは時に、はっきりと姿を見せる。

 

私が最もそれを感じる瞬間の一つが、東大生と接した時だ。あそこには日本で一番、輝かしい未来を持っている人間が集まっている。大人への階段を登りきる直前の、最強の子供たち。

人は大人になると同時に、それまで待っていた可能性の大部分を失ってしまう。だからこそ、彼らの持っているそれは、俄然光を放つのである。

 

 

だから、友人の難ありアラサーが東大生との合コンの話を持ってきたとき、わたしの心はとても高まった。

 

彼らの目に、世界がどう映っているのかを知りたい。自分が持っているものがどれほど大きい価値を持つのか自覚はあるのか。エリートもまたその比較の中で苦しんだりもがいたりしていて、結局人間はどこまでいっても同じようなことで悩み続けるんだよって少し安心するようなことも教えてもらえるかもしれない。優秀な人生を歩んで来たが故の、未来への閉塞感も抱いていたりしそうである。日本はもうダメだとか言い出してしまうかもしれない。でも自分は海外に行くから大丈夫だなんてことも言いそうである。私が東大生だったら絶対に言う。それを言うために東大を目指したんだって感じである。

 

優秀な頭脳を海外に流出させることを防ぐために、日本の楽しさを教えてあげることが、今回の私の使命だ。

 

 

難ありアラサーからの「ちゃんと予習しといてね」という指示を受けて、1ヶ月前からその日に向けての予習を開始することにした。

 

東大生たちは日頃どんな会話で盛り上がるのだろうか。私たちがマジカルバナナとかをしている裏側で、彼らはロジカルバナナとかに興じていそうである。

 

「今この瞬間において、日本にバナナは何本あるでしょうか?」などと突然フェルミ推定を要求してきたりするに違いない。

 

そしたら私はこう答えてやるのだ。

 

───この世にバナナが何本あろうと、私には、あなたのバナナしか目に入らないよ(きらりんウィンク)

 

優勝決定である。彼らをロジカルの向こう側に連れて行ってやる。

 

 

相手が全員東大生というキャラクターを持っているので、こちら側は全員平成手コキ女学院卒というキャラクターで臨むことにした。偏差値は80。自己紹介する際には、「一応手コ女です」と言うことにする。これで個性の大きさは五分であろう。

 

 

 

楽しい意見交換会のはじまりである。優勝目指して頑張るゾ!

 

 

 

意見交換会当日、東大生たちは時間より少し遅れて会場に現れた。てっきりキッチリ五分前行動をしてくると予想していたのだが、そこは流石のグローバル基準である。張り切りすぎて10分前に来てしまった私と難ありアラサーとは視野の広さからして違う。

 

 

東大生と言うので、てっきり実験に失敗した志村けんのようなボロボロの白衣に爆発した髪の毛みたいな奴らが来るのかと思っていたのだが、現れたのはビックリするくらい好青年な子たちだった。言われなければ、東大生だとは、しかもホモだなんて気づきっこない。

  

 

彼らはみんな感じが良く、聡明だった。人の言葉の意味を丁寧に救い取り、そこにまた自分の言葉を乗せて相手に差し出す、そんなコミュニケーションを難なくこなす。しかも、エリートとして自覚がある人間特有の癖のあるプライドが少ない。

 

誤解を恐れずに言うと、私が賢い人が好きなのは、加減を気にしなくてよくなるからだ。相手が何を知っていて、どこまで理解してくれているのかを確かめたり、時には勝手に想像したりしながら話すのは、どこかに枷がかけられているような、ゆるいプレッシャーがある。

 

自分よりも賢い人と話すときにだけ、その枷がとれ、話したいことを適当に喋っても許されるような気がしてしまう。

 

 

そうして枷を失った私と難ありアラサーが好き勝手喋りまくって悦に浸っていると、仕事で遅れて来た難ありアラサーの友人が到着した。これでやっと3対3である。

 

彼は席に着くなり自己紹介と称して我々にこう告げた。

 

 

───趣味はネカマです。

 

 

やべぇヤツが来た。

難ありアラサーの友人全員難あり説。

手コ女とか言って勝手にはしゃいで喜んでる我々とはわけが違うホンモノの変態である。

 

 

ドン引きしつつ「何が楽しいの?」と尋ねると「いやぁ...」と煮え切らない回答しか得られないので「流石に相手に実際に会ってみたりはしたことないよね?」と聞くと、「あるよ」との返答。 一体どのツラ下げて会いに行くというのか。

 

「会ってどうするの?なんかいいことでもあんの?」と畳み掛けるように全員で問いかけると「舐めたりしたこともある」ととんでもないことを言いだした。精神的に舐められているという事象と肉体的な感触をごっちゃにしているだけなんじゃないだろうか。

 

この話にどこまで突っ込んでいいのか考えあぐねていると、本人が「俺の話はいいんだよ」などと言い出したので、この話はここで終わらせることにした。この世には開けない方が良い蓋もあるのだ。綺麗なものだけを見て育ってきた東大生たちにとっても、良い勉強になったはずだ。

 

 

今日学んだことを活かして将来は世界をよりよくするためにがんばって働いて、俺らの老後を楽にしてね!難民支援とかしてみよ?まずは早速シリアナ(尻穴)難民を救ってくれないかな?という打診も行ってみたものの案の定華麗にスルーされ、合コンは平和的に幕を閉じた。

 

二次会、三次会、と進むにつれてみんな訳がわからくなってきていたが、翌朝から予定があるという1人は早々に帰宅し、難ありアラサーとネカマと残り2人はオールをする勢いになっていた。

 

私は少し悩んだが、オールは嫌いなので終電で帰ることにした。

 

 

山手線のホームまで辿り着くと、偶然にも先に帰った1人が地べたにあぐらで座り込んで電車を待つ姿が見えた。

日本の満員電車に対する座り込みデモである。

みんなが立って電車を待つ中、1人先頭で堂々と座りこんでいる。彼は3人の中でもとりわけ研究に熱心そうな子だった。

普通の人が当たり前のように諦めて迎合してしまうことでも、自分の意思を貫く人たちがいる。世界を変えてしまうのは、いつだってそういう人たちだ。この人もいつか、世界の常識を覆すような研究をするのかもしれないなぁと感慨にふけっていると、誰かに肩を叩かれた。

 

 

振り返るとそこに、酔っ払ったミス蒲田がいた。

 

 

説明しよう。ミス蒲田とは難ありアラサーの学生時代からの友人であり、彼がゲイライフ界の師と崇めている人物である。ちなみにミス蒲田というのは彼の自称らしい。

聞いてもいないのに、「私はあえて蒲田に住んでるの!あえての蒲田!」と喚くという特徴を持つ。

 

一緒に電車に乗り込み、隣に座って今日は東大生と合コンをしてきたとミス蒲田に自慢すると、彼は聞いてもいないのに「エリートだからいいってもんじゃないの。エリートなのにちんぽが汚いってのに興奮するの」という謎の人生哲学を語り出した。

ミス蒲田の隣には見ず知らずの女子が座り、友達と電話で話しているようだった。電車内なのにマナー違反だなぁ...これだから最近の若者は...と日本の未来を憂いでいると、彼女は何やらこっちをチラチラ見ながら「ねぇどうしよう...」と電話で友達に訴えていた。

 

我々にマナー違反を指摘する権利など微塵もなかった。まずい。流石にこれはまずい。

私の焦りをよそに、ミス蒲田の人生哲学は止どまることを知らず、「今日はクラブに行ってきたの。あそこは男に触られるところを楽しむところ。嫌な相手だったら払えばいいの。それだけ。」などと独自のクラブでの行動術まで語り出していた。

 

流石の私も苦笑いすることしかできずに、東大生の方に振り返るも彼は完全に熟睡していた。誰も蒲田を止められない。

 

世界を変えるのは案外、ミス蒲田のような人間なのかもしれない。

この世にはロジカルだけでは太刀打ちできない相手がいて、偏差値だけでは表せない偏りがある。

大人も子供も東大生も、みんなが不公平の作る制約の中でもがいているこの社会では、ミス蒲田のような、制約を無視してしまえる人間が最強なのかもしれない。